里山の原風景が残る地
奈良県北端に位置する高山は、大阪・京都に隣接しながらも、今なお豊かな里山の景観が息づく地域です。棚田や雑木林、ため池が織りなす風景の中で、多様な生きものと人々の暮らしが共存してきました。
竜田川・富雄川の源流域に広がるこの里地は、環境省が指定する「生物多様性保全上重要な里地里山(略称:重要里地里山500)」にも選定されています。サシバやオオタカといった猛禽類を頂点に、多くのレッドリスト種が生息する、生物多様性の宝庫です。
鷹とともに歩んだ歴史
この地の名は、かつて朝廷の鷹狩りの場であったことに由来します。豊かな自然の空を舞う鷹は、人々にとって象徴的な存在でした。
室町時代、高山城主の子・宗砌(そうさい)は、茶の湯の祖・珠光の依頼を受け、鷹の風切羽根のしなやかさを手本に竹を削り、茶筅を考案しました。その茶筌は、後土御門天皇に献上され、その巧妙さに感銘を受けた天皇から「高穂(たかほ)」の名を賜ったと伝えられています。こうして「鷹山」は「高山」と呼ばれるようになり、茶筅の里としての歩みが始まりました。
茶筅に受け継がれる500年の技
高山は現在も、全国の茶筅の99%を生産する「茶筅の里」。500年を超える伝統と技が受け継がれています。また、東大寺再建に尽力した公慶上人(こうけいしょうにん)の生誕地としても知られ、文化史的にも重要な地域です。
高山第2工区開発の経過
一方で、高山では昭和から平成にかけて大規模な開発計画が進められてきました。高山第2工区の開発については、1990年代から検討が始まり、その後も計画の中止や再検討が繰り返されてきました。以下はこれまでの経過を整理したものです。
工区開発の歴史
1988年(昭和63年):高山第1工区開発スタート
1994年(平成6年):高山第2工区(288ha)開発スタート(用地買収)
1996年(平成8年):独立行政法人都市再生機構(UR)による用地買収完了(132.5ha/60%)
2007年(平成19年):UR第2工区(288ha)開発事業中止
2008年(平成20年):奈良県の開発要請を受け、生駒市開発賛同の意向表明
2010年(平成22年):生駒市、開発計画検討を中止
2016年(平成28年):生駒市、UR所有地を買い取り
2019年(令和元年):「学研高山地区第2工区まちづくり検討会」設置
2022年(令和4年):「学研高山地区第2工区マスタープラン」策定
2024年(令和6年):「学研高山地区ゲートエリアまちづくり協議会」設立
参考リンク・関連情報
茶筅の歴史と技術:
高山茶筅(KOGEI JAPAN)
高山城跡:
生駒市公式サイト:城跡の紹介
公慶上人と東大寺再建:
生駒市公式サイト:公慶上人について
重要里地里山500:
環境省:重要里地里山500選